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半ば備忘録

空襲時における退去及び事前避難に関する件(昭和16年12月7日)

一次改正防空法の「退去の禁止」を国民に強制した根拠として挙げられる通達「空襲時における退去及び事前避難に関する件」の全文を多少書き下して掲載する。
この通達は「①退去」「②事前避難」の二つの項目からなる。退去の禁止の根拠として掲載される際は大抵①のみピックアップされるが、この通達はあくまで②とワンセットで、空襲から遡ると時間軸上は「空襲→②→①」の順になる。つまり退去とは空襲が発生する前に建物から転出する事、事前避難は空襲直前の避難行動を示しており、退去と避難を混同すると意図が不明になる事に留意されたい。なお退去は禁止とされながらも転出入は戦時中でも可能で、太平洋戦争開戦直前のこの通達の意味は当時の日本人の移動動向をしっかり把握した上で解釈する必要がある。

「①退去」の肝はもちろん「退去は一般に禁止」だが、「現在予想される敵の空襲は老幼病者等の全部が退去するを要する程度に非ず」も重要である。この時点で行政には大戦末期の無差別空襲が予想できておらず、またこの通達の本質はパニックへの恐れにある事がわかる。

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空襲時における退去及び事前避難に関する件
昭和16年12月7日 防第5782号)
各庁府県長官宛

標記の件に関しては爾今左記の方針に依ることに決定相成り候條(ゆえに)御了知の上これが指導に関し万(よろず)遺憾なきを期せられたく依命この段に及び通牒候なり

一、退去

(一)退去は一般にこれを行わしめざること
(二)老幼病者等の退去についても現下の空襲判斷上全般的計画的退去を行わしめざるは勿論、左により努めてこれを抑制するよう一般を指導すること
(イ)老幼病者に対して絶対に退去を慫慂せざる(奨めない)こと
(ロ)現在予想せらるる敵の空襲は老幼病者等の全部がこれを退去するを要する程度に非ずむしろ退去に伴う混乱、人心の不安等による影響大なるべきことを一般に徹底せしむること
(三)前二号によるもなお退去せんとする者ある場合は適宜統制を加え混乱を未然に防止するよう努むること

二、事前避難

(一)事前避難については防護力低き施設に多数集団的に避難せしむるよりもむしろ各戸の簡易待避施設に分散待避せしむる方が実害少なきことを認識せしむること
(二)現在の公共防護室または公共防空壕の整備の状況に鑑みこれに避難を認むるはその近隣に存在する老幼病者等に限ることとしその他の老幼病者は各戸の簡易待避施設に分散待避せしむること
(三)事前避難の場所およびこれに収容すべき避難者に関しては具体的に調査確定し置くこと
(四)通行人等は公共防護室又は公共防空壕に待避せしめざること。なお地下鉄は事前避難又は待避の場所に充用せざること

疎開に関する閣議決定

インターネット上で追えるもののみ列挙する。部分を抜粋。

  • 一般疎開促進要綱 昭和19年3月3日
    http://rnavi.ndl.go.jp/politics/entry/bib00541.php
    二、人員疎開は建築物疎開の繰上げ施行に依る輸送事情等を考慮し最有効なる遂行を期する為重点的計画的に指導するものとす

  • 老幼者妊婦等ノ疎開実施要綱 昭和19年11月7日
    http://rnavi.ndl.go.jp/politics/entry/bib00541.php
    現下の情勢に鑑み特に老幼者妊婦等の疎開を容易ならしむる為左の各項に依り措置するものとす

  • 空襲対策緊急強化要綱 昭和20年1月19日
    http://rnavi.ndl.go.jp/politics/entry/bib00541.php
    第一、都市疎開の強化
    (一)人員疎開の強化促進
    帝都其の他重要都市に於ける人員疎開は老幼者姙婦等に重点を置き更に帝都より百五十万人(其の他の都市を含め三百二十万人)の地方転出を目途とし之が促進を図ると共に戦時緊要人員の転出を抑制せんとす
    第二、戦時緊要人員の残留確保
    帝都其の他重要都市に残留を要する戦時緊要人員は其の範囲を明定し之が地方転出防止に関し強力なる指導を加へ職域死守の敢闘精神を昂揚せしむると共に所要に応じ防空法又は国家総動員法に依り之が残留を確保せんとす

  • 工場緊急疎開要綱 昭和20年2月23日
    http://rnavi.ndl.go.jp/politics/entry/bib00541.php
    第一 方針
    戦局の状勢に鑑み一時の不利は之を忍び計画的、系統的に工場疎開を徹底実施するものとし効果的に分散、地下移設等の方法を講ずると共に緊要工場の地域的総合自立を図り軍需生産の長期確保強化を期するものとす。

  • 3/10東京大空襲を皮切りに都市部への無差別空襲が始まる

  • 大都市ニ於ケル疎開強化要綱 昭和20年3月15日
    http://rnavi.ndl.go.jp/politics/entry/bib00610.php
    一、方針
    戦局今後の推移に鑑み防衛並に食糧対策等の見地より急速に重要都市の徹底的人員及建物疎開を決行し国内自活自戦態勢を促進す
    二、要領
    (一)重要都市に残留せしむべきものは必要なる機関及人員に限定し他は凡て之を地方特に農村等に疎開せしめ之が戦力化を図る
    尚右に伴ひ堅牢建築物の利用に努むると共に急速且徹底的なる建物疎開を実施し戦時都市態勢を確立す
    (二)人員疎開は縁故疎開、集団帰農、学童疎開、学徒の農村進出等及工場疎開に伴ふ人員移駐に依り之を実施す

  • 都市疎開者ノ就農ニ関スル緊急措置要綱 昭和20年3月30日
    http://rnavi.ndl.go.jp/politics/entry/bib00616.php
    大都市の人員疎開の要請に即応し是等疎開人口にして農村に受入るる者に付ては縁故等に依り帰農を為さしむる外左の要領に依り之が適切なる受入を行ひ積極的に其の就農の措置を講じ食糧生産の増強に寄与せしむるものとす

  • 現情勢下ニ於ケル疎開応急措置要綱 昭和20年4月20日
    http://rnavi.ndl.go.jp/politics/entry/bib00621.php
    (1)人員疎開
    人員疎開に付ては(一)老幼姙産婦病弱者(介護者を含む)(二)疎開施設随伴者(地方転勤者を含む)(三)集団疎開者(四)前各号以外の罹災者及強制疎開立退者(但し離職者)を先づ優先的に疎開せしむるものとし右以外の者の疎開は当分の間之を認めざるものとす
    尚罹災者及強制疎開立退者に付ては一定期間内に限り最優先せしむ
    (2)施設疎開
    官公の諸機関は特に内閣又は主務省に於て決定指示するものの外疎開せざるものとす
    会社、団体等も右に準じ特に主務官庁の指示あるものの外は疎開せしめざるものとす
    工場及事業場は今後他の施設に優先して疎開し又は堅牢建築等に移転せしむるものとす 但し之が実施は生産防衛対策本都(地方機構を含む)の指示に依らしむ

  • 空襲激化ニ伴フ緊急防衛対策要綱 昭和20年7月10日
    http://rnavi.ndl.go.jp/politics/entry/bib00633.php
    二、都市要残留者の確保
    戦争遂行上緊要なる機関、施設、工場等の要員たる都市要残留者を具体的に調査再検討し其の必要最小限度を定むると共に右要員に対し食糧住宅の供給其の他防衛上必要なる措置を講じ併せて要員絶対確保の方途を実施す
    三、人員疎開の促進
    (一)人員の疎開は四大重要地域以外の主要都市にも之を実施することとし其の疎開先を原則として近郷農村と為す等簡易軽便に行ふものとし可及的鉄道輸送に依らざるものとす
    (二)疎開すべき人員の種別、輸送等は四大地域の例に依るものとするも鉄道輸送に係る貨物は計画的集約的に取纏めたるものに限る
    (三)右に伴ひ人員疎開の受入態勢の整備に関し臨時集団受入、其他適当なる措置を講ずると共に集団帰農又は就労等の措置を講ず

以下考察。人員疎開の実相としてはざっくり以下3段階に分けられると思う。

  1. B29の諸元が明らかになり本土空襲を織り込む必要性を認識するまで
    →防空法の第二次改正(1943年)による4大都市圏からの縁故疎開が始まる
  2. サイパン島の陥落から本土への精密爆撃期
    →縁故疎開が本格化、実施名目の立ちやすい学童疎開が開始
  3. ルメイによる大都市への無差別焼夷弾爆撃
    →生産要員を除く大量疎開

3/10以降の空襲は4大都市圏を焦土化したあと全国の中小都市へ拡大していく。閣議決定を並べてみると、それに追い立てられるかのように集団就農を前提とした人員疎開を強力に推し進めていく様相が見て取れる。そうまでして戦争を遂行しようとしたのである。

 

「人貴キカ、物貴キカ」第八十六回帝国議会 貴族院議事速記録第十三号中 秘密会議速記録

大河内輝耕の発言「人貴キカ、物貴キカ」が登場する1945年3月14日の貴族院秘密会議速記録の全文を、読み易いよう現代仮名遣いに直したものを掲載する。原本は「貴族院秘密会議事速記録集」だがインターネット上には公開されていないので、気になる方は図書館に当たっていただきたい。

本文ではまず大達茂雄国務大臣が3/10東京大空襲・3/12名古屋大空襲・3/13大阪大空襲について報告している。特に東京大空襲の4日後に国務省が把握していた情報が秘密会議ならではの赤裸々さで記述されていて、ここでは避難場所への罹災者の収容・罹災者への援助物資供給状況・罹災者への県外への退避状況とその援助などについて、大空襲直後の行政の対応はどういうものであったかを把握することができる。避難場所に避難した罹災者が翌日には減る、県外に縁故のない罹災者が行き場を失う、罹災地を離れようとしない罹災者がいる、など今東京で震災が起きればきっと同じ人間模様が見られるよなと思える記述も多い。

次田大三郎の質疑に続き、大河内輝耕の質疑となる。大河内発言の要点は以下3点。

  • 空襲時に初期消火をせずに逃げるよう通達を出せ
  • 一次避難場所を指定せよ
  • 一次避難場所の邪魔なものはあらかじめ撤去せよ

これに対し国務大臣の答弁は、

  • 初期消火は現場の指揮者が機宜に応じて対応すべきだが、今回のような状況では命を全うするために避難すべきで、警視庁がその指示を出すよう手配している
  • 一次避難場所は風向きなど状況に応じて変更すべきで、避難指示者以外への明示は危険。避難場所から県外への退避については計画し整備している
  • 避難場所の広場を新たに作ったり広場の邪魔なものの撤去はしていない

大河内の「消火せず逃げろと言明すべき」という指摘に対し大達が「どうも初めから逃げてしまうということはこれはどうかと思う」と突っぱねる、という引用のされ方が防空法の議論の中で散見される質疑だが、本文を読んでいただければ分かる通り、大達は「命を全うするよう避難すべき」と明言している。また一次避難場所については大達の指摘通り避難場所が風下にあれば行くべきではなく、一次避難場所を指定しろという大河内の発言は現実に即していない。余談だが、ここで議論されているのは避難場所についてであり、避難所についてではない。当時、避難所への長期の避難として機能していたのは疎開や郊外への難民化であり、本文中にもその避難のサポートのみが説明されている。避難場所と避難所の混同は当時の政府の対策を見誤るため、留意が必要である。

なお大達茂雄は1942年〜1943年にシンガポール市長として軍政を担当、1943年〜1944年に東京都長官を務めている。都長官時代は防空対策に熱心であり、疎開政策を推進する立場にあった。東京の被害状況と対応について細微にわたり発言できているのはそういった経歴による。

 



 第八十六回帝国議会

貴族院議事速記録第十三号中 秘密会議速記録

昭和20年3月14日(水曜日)
午前10時13分開議

空襲被害状況に関する内務大臣の報告ならびに次田大三郎君及び子爵大河内輝耕君の質疑

○議長(公爵徳川圀順君) これより秘密会議を開きます。大達内務大臣

 [国務大臣大達茂雄君登壇」
国務大臣(大達茂雄君) 3月9日深更から3月10日未明にかけまして、東京空襲がありました。なお12日のやはり早朝、名古屋空襲がありました。昨晩から今朝にかけまして大阪にやはり同様の規模の空襲がありました。それぞれ重大な被害を生じましたので、大体被害の概況に罹災者の状況、救護、救済の概況について御報告を申上げます。
3月9日深更から3月の10日黎明の間に於ける帝都を中心とする空襲は、大体 B29 約130機でありまして、帝都以外の方面にも多少の攻撃があったのでありますが、これはさしたる被害はありません。昨日17時迄に判明致して居りまする被害の概況を申上げますると、死者55,804名であります。負傷者32,998名、その中で重傷が約5,000名の見込であります。これは昨日の17時迄に判明しているものでありまして、なお行方不明等の関係に於きまして、死者はなお増加するのではないかと考えております。それから被害家屋でありますが、全焼256,339、半焼744、全乃至半壊合計25,789となっております。罹災者の数が総数1,060,856名、是は只今迄の計数でありまして、今後多少移動する見込であります。それから重要施設の被害でありますが、官庁、重要工場、倉庫、交通機関、学校関係、供給源施設、或は医療機開、金融機関、その他相当な被害がありました。ごくかいつまんで主なるものを申上げますと、司法省、大審院、控訴院、地方裁判所、司法大臣官舎、農商省分室、大政翼賛会、商工経済会、東京都庁宮内大臣官舎、情報局総裁官舎、内大臣官邸、区役所が3つ、警察署が12、消防署6、工場の方に於きましては昭和造船株式会計工場、凸版印刷工場、岩本硝子工場、藤倉工業上野工場、住友通信上野工場、大日本機械株式会社、吾妻製鋼所、久保(窪?)田鐵工所、鐘紡「ディーゼル」工場、それから省線汐留駅が約二分の一、隅田川の貨物駅、南千住駅等被害があります。学校関係では日本医科大学、日本歯科専、帝大農学部の一部、その他中等学校11、国民学校21、その他浅草寺国技館等であります。罹災者の状況でありますが、先ず第一に罹災者の応急救助と致しまして、その即日都の内外の縁故先に避難をした者もありましたが、一方相当数の者、既定計画に依りまして学校、公会堂、堅牢建築物等に、集団収容して、保護を加えたのであります。その数が11日現在で342,860人でありましたが、12日には260,353人と減じております。今回の被害は区内の全部または大部分が焼失したものが多いのでありまして、罹災者の多数に発生しました13区におきましては、その罹災者を暫くの間被害の少ない区に割り当てて収容する計画を致したのでありますが、やはり罹災者と致しましては罹災地の附近を去ることを欲しないというような色々な事情がありまして、昨日現在におきまして、この計画によりましては約四千人程度の収容であります。応急収容致しました後の措置と致しましては、縁故先ある者は努めて縁故先に避難を致させました。なお縁故先のない者に付きましては、かねてから計画しておりました大避難実施の要領に準じまして、関東、信越行政協議会管内のかつての収容計画県にこれを避難せしめることに致しまして、行政協議会の副参事官を各県に派遣を致しまして、各県営局と折衝を致させました。逐次集団輸送を実施しているのであります。なお移動致しまする罹災者の保護に遺憾なきように主要駅の附近に相談所、保護所、救護所のようなものを設置致しまして、罹災者に対する各種の相談、あるいは茶を出すとか、給食、医療、救護等を実施をしております。なお罹災者が多数徒歩で移動致しまする主要道路、沿線にもそれぞれ給食あるいはお茶を出すというような保護所を設置することに致しております。大体その外差し当たり関東、信越地区に疎開を致しまする者以外、東北六県に転住せしめたいという考えでありまして、これが「東北六県に各々5万人、計30万人を行政協議会を通じて受入れの準備、手配を致させております。これらの者はそれぞれ落ち着きました上は、農村或、軍需工場にこれを受け入れまして、食糧増産、戦力増強に資せしめるように指導致したいというつもりであります。それから罹災者に関する医療、食事の対策でありますが、食糧開係について申し上げますと、罹災者に関する応急の給食と致しましては、都庁と警視庁一体として手配を致しまして、直後にとりあえずの処置として乾パンを支給を致しました。貨物自動車300台を緊急に動員致しまして、被害の少かった地区の防空備蓄の乾パン約77,000箱、これは700万食以上にあたるのでありますが、これを各地に運搬をして一応乾パンの配給を致しました。同時に被害の比較的少かった警察署管内の炊爨(さん)挺身隊等を動員を致しまして、即刻炊出しを開始させたのでありますが、その炊出し能力は、当日は1回分として13万食にとどまりましたので、結局他の分は乾パンで間に合わせる、11日に至りましては、毎食20万食程度の炊出しを致しまして、漸次これを増強して、乾パン食の方を減少するように現在努力を致して居るのでありますが、日を経るに従いまして幾分改善を致しまして、あるいは味噌汁を付けますとか、缶詰、佃煮等を給食するとか、何とか手配を講じている訳であります。大体縁故先に逐次分散をして参りますので、集団として給食致しまする数は逐次減少しているのでありまして、11日の晩34万2千食出ましたものが、12日の晩には26万食程度に減っております。なおこれら給食に付きましては、罹災直後東部軍からあるいは炊出隊員、あるいは乾パン等について相当な援助、応援を受けました訳であります。それから寝具の関係でありますが、これはとりあえず各区役所において分散備蓄致しておりました毛布を罹災地に振り向けまして、これが高々2万5千組程度のものでありましたが、なお陸軍省の方へ御願いをしまして、軍の毛布を5万組ばかり貸して戴きました。これら軍のトラックの応援によりまして、それぞれ被害の特に大きかった地域に配給を致しました。なおこれと併行致しまして、近県に分散保管を致しました毛布、蒲団約21万枚でありますか、これを緊急に集めます為に関係地方長官の方に手配方を指示を致しまして、色々臨時列車を仕立てるとか、あるいは臨時の貨物電車を仕立てるとか、あるいは直接トラックによるとかいうような、出来るだけの方法を講じまして、10日の夕方から夜半に掛けまして、逐次到著を致しまして、極く一部分残りましたものも12日中には全部東京にこれを集めまして、そうして罹災者の方に配給を致したのでありますが、なお幾分足りませぬものは、罹災しなかった家庭からして供出、借上げを致しまして、賄いを付けた訳であります。なお薪炭に付きましても採煖用、炊事用として備蓄したものを全部放出致しましたのでありますが、これは御承知の通り年越しの為に従来防空備蓄として確保致しておりましたものを相当出してありましたので、甚だ手薄な関係にありましたので、これは各関係省と即時協議を致しまして、また関係地方長官の方に至急指示を致しまして、引き続きこの補充の為にあらゆる方法を講じまして、出荷を急がして居ります訳であります。なお細かいことでありますが、日用品等に付きましてもマッチ、蝋燭、塵紙、マッチに付きましては、これも甚だ不自由な際でありますので、世帯あたり一個として、25万個、塵紙1万貫程度のものを供出して配給致しました。なお下駄商組合を動員を致しまして、色々履物等についての手配を致しました。なお栃木県その他からして30万足分の履物を送らせることに手配を致しました。それから罹災者の輸送でありますが、なるべく罹災者を地方に分散を致させたい、その様な考えの下に、特に運通省に於きましても、非常に協力を致されまして、大体10日から東京発の各線とも、一般の旅客は乗車をさしあたり5割程度に規正を致しました。そうしてこれを罹災者の輸送に振り向けました。同時にまた10日の晩から致しまして、臨時列車を出して貰いまして、極力地方にこれを送り出している次第であります。臨時列車も逐次増発を致しまして、昨日以後、毎日8列車程度のものを出せるような具合になっております。それから罹災者が地方に散りまして後の、各地方に於ける救護の関係でありますが、これに付きましては逸早く各地方長官の方に指令を致しまして、逐次徒歩あるいは鉄道で入って来まする罹災者に関しまして、主要の駅あるいは主要路線の県境等に受付所、保護所、救護所というようなものを造りました。これに依って給食あるいは医療の上に遺憾のないように致しております。現在迄に各県に避難した者、殆ど全部縁故先のある者でありますが、一部縁故先のない者の為には旅館その他に収容するほか、寝具、衣料等を貸与して保護を加えるのであります。13日の20時現在迄に報告のありました近県への避難者は約13万4千人でありまして、主なるものを申上げますと、千葉県へ46,755人、埼玉県が3万人、茨城県が2万1千人、栃木県1万4千人、群馬県1万、山梨5千、新潟3千というようにそれぞれ近府県に散らかりつつあります。それから負傷者に関する医療救護でありますが、これは救護所、救護病院というようなものがそれぞれ従来決まっていったのでありますが、災害の激甚でありました地域に於きましては、これらのものが殆ど焼けてしまいましたので、とりあえず救護班として当日52班を被害甚大な区に派遣を致しました。主として現場に於ける負傷者の救護ならびに収容所に於ける患者の治療に当たらせ、なお別に各地方からの応援、救護班も12班ばかり現場に出動を致しました。それから都の医師会方面からも、医師450人、看護婦450人を応援派遣を致してそれぞれ治療に当たっております。それから薬品、衛生材料等、甚だ手不足でありますが、これも只今ありますものを、約12万人分でありますが放出致しました。なお救護病院に関しましては、毛布、布団あるいは乳製品等を特に緊急に手配を講じた訳であります。その他各県からの応援、救護班の派遣あるいは軍からの救護隊の出動、それぞれ相当な援助を受けた次第であります、それから死体が段々と発見が増して参ります。これはいちはやく軍隊、警察、警防団に於きまして死体の取片付けならびに埋葬を直後からやらしたのでありますが、あまり死体がそこらにありますことは、士気の上から言って非常に憂慮すべき点がありますので、これを大体かねて計画を致して居りました公園その他埋葬の予定地がありますので、これにとりあえず仮埋葬、土葬を致して処理を致しております。ただ焼跡を段々整理するに連れまして死体が思わざる数字に上りつつありますことは、誠に残念に存じます。大体救護の手配の概況は以上の通りであります。
次に3月12日早朝に於ける名古屋市附近の空襲状況でありますが、これは大体B29が180機内外、これが31目標に分かれまして名古屋市に侵入を致しまして、焼夷弾を投下する一面、機銃掃射等迄も致したのであります。大体3時頃に南方に脱去したのでありますが、この被害は、昨日の夕方迄に判明致しました数字に依りますと、全焼が工場68、住家26,721、非住家624、半焼が住家758、非住家28、工場9、こういう数字になっております。死者は243、重傷者57、軽傷者598、この数字も今後相当移動するかと思います。それから重要施設の被害でありますが、熱田神宮に火災が延焼致しまして、御本殿ならびに別宮は御安泰でありますが、勅使館、祭館、宮庁(是は社務所であります)、神楽殿、いずれも全焼を致しました。誠に恐懼(きょうく)の至りに存じます。その他官公署、学校、工場、水道施設、交通施設その他に相当の被害があります。知事官舎あるいは両部長官舎等も焼失したようであります。工場におきましても相当重要な工場、例えば三菱航空機工場、岡本工業本社、工場、その他に相当な被害があったようであります。罹災者、約10万以上に上る見込みであります。これに対しましては、東京と大体同じでありますが、やはりとりあえず乾パンの給食を致しました。そうして昼時分から炊き出しが間に合ったようであります。ただ東京と違いまして、丁度東京で申しますと、この前の神田、日本橋の被害の程度と大体同様でありますので、罹災者は縁故先、知り合い、親戚等、市内のそれぞれの方面に吸収せられまして、集団をして救護の世話を致しております者は比較的少ないようであります。まず5千人程度に止まっているようであります。人心は一応冷静でありまして、東京都方面と較べましても余程平穏に推移しているようであります。これは被害の程度が余程違う関係かと思います。
それからなお昨晩11時15分頃からして今朝3時半迄の間にB29約90機がやはり東京、名古屋と同じように1機乃至2機程度でもって逐次大阪に侵入致しまして、例に依って焼夷弾攻撃を加えたのであります。これは被害の状況その他十分に判明を致しません。今朝6時迄の現在の報告と致しましては、やはり大阪市内全区にわたって火災の発生を見たのでありまして、一部は今朝6時にはなお燃えておったようであります。極く概数と思いますが、報告によりますると、全焼116,168戸、半焼222戸、死者30、重傷47、軽傷206となっております。相当な大被害でありまして、今後数字も変わることと思いますが、この死者30というのは、あるいは今後相当に数字が動いて来るのではないかということを心配しておる次第であります。重要被害と致しましては、これもとりあえず報告は参っておりますが、恐らくは十分判明はしておらぬことと思います。報告の参っておりますものは、大阪警備府、大阪医大、あるいは警察が八箇署ばかり焼けました。中央市場、師団長官舎等であります。工場方面におきましても、住友化学工業日立造船櫻島工場、王子製紙、大日本塗料、日本化学、旭電機、日本油脂、日発工場、大阪造兵廠等であります。それから救護の状況につきましては、是は殆ど分りませぬが、あらかじめ定めました計画に基いて救護中であるのでありますが、別に動揺不安のしるしはない、そういうことであります。以上の如く最近は隔日、一日置きでありますが、僅か三回の夜間空襲によりまして、東京、名古屋、大阪、この三大都市に亘りまして、殆ど未曾有ともいうべき大被害を受けましたことは、眞に遺憾千万に存ずるのであります。なお戦局今後の情勢によりましては、同様な災害若しくはそれ以上の災害をも予期しなければならぬかと思うのであります。関係当局と致しましては、万般の防衛措置、救護救済の措置、これにつきまして出来る限り、勿論かような時局でありまして、十分ということは容易なことでないと思うのでありますが、出来るだけ全力を挙げてこの防衛ならびに救護の完璧を期することに致したい、かように存じますると共に、この相次ぐ大災害によりまして、これに国民が音を上げて士気が挫折するか、あるいは益々戦う戦意が昂揚するか、恐らくは戦争の帰趨を決する上から言っても極めて重大な時期になって参っていると考えます。これらにつきましては、官民一致してあらためて戦い抜く覚悟を新たにしなければならぬと思っているような次第であります。一応御報告を申し上げます。

○議長(公爵徳川圀順君) これにて秘密会議を終ります。是より議事を公開に移します。傍聴人の入場を許します。

午前10時47分秘密会を終る

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午後0時17分開議

○議長(公爵徳川圀順君) これより秘密会を開きます

[次田大三郎君登壇]
○次田大三郎君 私は先程の内務大臣の御説明に関連致しまして簡単な事柄を唯一つ伺いたいのであります。この度の東京大空襲の後の救護に付きまして色々やっておいでになりますることを伺いました。これについては前々から相当の計画もあり、準備もあり、救護の実際については兎角の批評を聞かないでもありませんが、兎に角その計画に基きその準備をもって相当のことをおやりになっているということを伺った訳であります。私の伺いたいのは、東京の空襲がこれはお終いという訳ではないのであります。二度も三度も何度も先達てのような大空襲が繰返されるか分からない、これは東京ばかりではありませんが、東京だけについて考えてみましても、その大空襲は度重なることを予期しなければならないのであります。それについて私の伺いたいのは、前回の如き、もしくは前回よりもっと酷い空襲が二度も三度も繰返されました場合に、これに対する準備が出来ていると心得て宜しいでありましょうか、その辺のことを打ち開けて御説明を願いたいと思うのであります。これは私共非常に心配致しております。先達てだけはどうにか行けたが、もう一遍来たらどうであろうか、もう二遍同じことが来たらばどうであろうか、一体食糧にしても、衣類にしても、その他の日用品にしても準備がないのじゃないかということを心配致しまするの余り伺う訳であります。どうぞ.........

[国務大臣大達茂雄君登壇]
国務大臣(大達茂雄君) 誠にごもっともな御心配であります。極く率直に簡単に申述べたいと存じますが、只今の所、食糧につきましては、まず一応心配はないかと考えております。実は10日の空襲によりまして、深川が火の海になりまして、全滅を致しました。あすこに御承知の通り農商省の米の倉庫の主力がある。これはかねて相当分散もされたのでありますが、何分にもあすこに固まっておりますので、実は火災直後から非常に心配を致しまして、その様子を危惧したのであります。様子が分らぬで非常にやきもきしたのでありますが、結局無事でありました。左様なことがありまして、今後災害の模様によりましては、これとてもそう簡単に楽観をするということは出来ぬかと思います。思いますけれども、まず食糧に付きましては今後あのような空襲が数回ありましても先ず差支えない。ただ迅速な炊出しというようなことになりますと、これもその時のことでありますが、予定しておきました炊出隊、そういうようなものが所によっては全部罹災者になってしまいます。輸送が思うように行かない、色々な関係で隙のないということには此の災害の模様に依って必ずしもこれを保証することは出来ませぬが、しかしまず食糧の方は賄えるのじゃないか、そういうことを考えております。
一番実は手薄でありまして心配致しておりますのは、寝具衣料の類であります。これにつきましては、御承知の通り都民自身が相当自分の家財を疎開しておるものがあります。そのほかに政府の農商省方面に出来るだけ心配をして戴きまして、この点せっかく手配について大体見込みも付いておりますが、とにかく一応手薄であります。これはなお一般の買上げ、供出というようなこともある程度はしなければならぬと考えておりまして、この方面も著々手配を進めて居ります。ただ御承知の通り、これは敵としては戦果でありますから、これを明らさまに発表するということで敵に戦果を確認させるということになる関係上発表を致しません。地方におきましても、これが為に真相が分りません。これは一面において地方の不安、デマの因になりますが、そういうような因ったこともありますと同時に、また地方ではよくわからぬ、これがわかれば相当地方の救援物資というものも窮屈な間でも期待が出来るかと思うのでありますが、これがなかなか左様な関係で思うように参りませんので、その点を考慮しながらやはりある程度地方の救援が入って来るような方法を考えなければならない。これも今手配を致しておる次第であります。次に日用品、例えばタオルであるとか、鍋釜であるとか、下駄であるとかそういう類に至りましては甚だこれも手薄であります。あらゆる方法をつくしまして、今の衣料の場合と同じように今後に備えて現に出来るだけの手を打って居るような次第であります。大体左様御諒承願います。

○次田大三郎君 簡単でございますから此の席から発言を御許し願います
○議長(公爵徳川圀順君) 宜しゅうございます
○次田大三郎君 もうーつ伺いたいのですが、医薬医療品等はどういう風に御考えでありましょうか。それだけであります。

[国務大臣大達茂雄君登壇]
国務大臣(大達茂雄君) 医療品に付きましては一応これは厚生省の方の計画に基きまして用意しているものがあります、ありますが、これも食糧と比べますと余程不十分であります。これは一般に必ずしも防空備蓄と限らず、医薬品の非常に欠乏しておりますことは御承知の通りでありまして、勿論十分ではありませんが、日用品等と比べますと、是は一応計画として備蓄を厚生省の方で持っておりますので、まず左様な程度に御諒承を願います。
○子爵大河内輝耕君 簡単に質問を致します
○議長(公爵徳川圀順君) 登壇を望みます

[子爵大河内輝耕君登壇]
○子爵大河内輝耕君 只今皆様から色々な御質問があって皆適切な御質問で、私の質問は前に題を申し上げますが、人貴きか物貴きかとそういう質問なんであります。関屋君ならび山岡君などから色々適切な施設について御質問がございましたが、私はそうなっては間に合わないと思う。碌なことは出来ない。それで大都会が焦土化することは時の問題だと思います。この次、東京が全部やられるかも知れない。恐らくやられるでしょう。その場合に人を助けるか物を助けるか、どっちを助けるかこれを伺いたい。私は人を助ける方がよいと思う。人が大事と内務大臣も仰る通りで、それには消防の方は専門家に委しておいてよいと思う。この混雑したものが不慣れの隣組長などの指揮を受けて消防やなんぞやっていったら皆死んでしまいます。それだから今度の深川や方々の…これは一遍伺ってからの方がよいけれども、外の外国の大都会などに比しては余程死んでいる人が多いと思う。人を助けるならば、消防などは二の次でよいから身をもって逃れるということが一番よいと思う。もしそういうことであるならば、それがよいとすれば、一つ内務大臣から十分に徹底するように隣組長なり実際の指揮をする者に言っていただきたい、火は消さなくてもよいから逃げろ、これをひとつ願いたい。

それから第二に希望するのは、どこへ逃げたらよいか指定して貰いたい。例えば麻布の者はどこに逃げる、渋谷の者はどこに逃げる、そういうことをはっきり言って貰いたい。それで逃げ場所をひとつ掃除をして立派な逃げ場所をこしらえて戴きたい。例えば外苑なんぞの所にありますけれども、外苑なんぞは逃げ場だろうと思うのですが、あそこに野球場なんぞがあるから、ああいうものは取っ払っちゃって、あそこをもっと逃げ場にするように良くするとか、方々の区々に依って逃げ場所をこしらえておく。区に逃げ場所がなければ他の区でもよろしゅうございます。早くその方をこしらえて、そうなっちゃったら施設なんぞは間に合いませんから、それよりも人を逃がすということをお考えになった方が私はよかろうと思います。その二点を伺いたいと思います。

[国務大臣大達茂雄君登壇]
国務大臣(大達茂雄君)  先程もちょっと申し上げましたように、私は隣組防空と申しますか、焼夷弾に対して市民が非常勇敢に健闘致しておりますことは、実に感激しておりますと申しますか、誠に心強いというような感じを持っているのであります。今迄よりも随分焼夷弾を束にして落して、なかなか一般のバケツとか何とかいうようなことでこれを防ぐということは容易でないと思っていったのでありますが、それにも拘わらず実によく処理をしているとそう思うのであります。ただ先だってのような非常な強風の中で、而も極めて計画的に大火災になるように焼夷弾攻撃を行ったようでありまして、ああいう場合にはなかなかそれがうまく行かなかった、どうも甚だ残念でありますが、これを隣組の防火が悪かったということには言えないと思うのであります。そこで今御話のように、随分火事がひどくなりましてもあくまでも消防に努めました結果、死人が多かったということは、これは大体想像し得るのではないかと思います。その点まことに同情に堪えないのでありまして、やはり現場に於ける指揮をする者が常識的にその場合場合に処して機宜の指図をするということが大事でありまして、どうも初めから逃げてしまうということはこれはどうかと思うのでありますが、やはりある程度まで来ればすみやかに生命を全うする、どこかへ避難をするというようにしなければならぬと思います。これらの点は今回の経験もありまして、既に警視庁方面においても気付いて、それぞれ指示をして今後遺憾なきように手配をしている次第であります。
それからいざという時の大災害の場合、大火災の場合における逃げ場所と申しますか避難場所の問題でありますが、実はこれは一応従来の計画と致しましては、大火災の場合には、例えば神田区のどの辺の者はどこへ一応避難をする。そうして避難をした先から今度はどの方面に向かってまた更に移動していく。これはまぁ机上の計画かも知れませぬが、一応そう計画は出来ているのであります。先程大避難計画に基きということを申し上げましたが、実はそれに基くという意味を申し上げたのでありまして、これを一般に知らしておく方がよいか悪いかという問題は、前々から実は内輪では論議をしているのでありますが、なかなかこれがやはりその時の風向の工合もありますし、どこへ行って居れと言ったって、そこに火が先に起って居るかも知れませぬし、左様なことであらかじめ杓子定規な決め方をして、そうして末端の警察官と申しますか、区役所の者と申しますか、どうしてもこれは杓子定規に流れ易いのでありまして、そうしておくと風下の方へ無理に人をやったり、或いはみすみす危険の所へ、あらかじめ決めてあるからということでそこへ連れて行くというようなこともまた考えられますので、とにかく一応の計画に依りまして、その場に於て現実にこれを指導して行く、そういうことにして今日まで参って居りまして、一般には公表を差控えていったような訳でありますが、まあ今後の実際の体験に基きまして、これから一応の机上の計画も今後改むべき所は改め、直すべき所は直す、そういう風にして、出来るだけ遺憾の少ないように致したい、そのように考えております。

○子爵大河内輝耕君 逃げ場所をあらかじめ作っておくということはお答えがないようでありますが、例えばどこ、明治神宮の外苑なら外苑をもって当てるということならば、そこはすっかり逃げてくるように設備をしておくとか、あるいはその他にも逃げる場所があるとすれば、それも知らせる知らせぬは別として、そこの場所の設備をしておくことが必要であると思います。そのお答えを…

[国務大臣大達茂雄君登壇]
国務大臣(大達茂雄君)  大体は明治神宮であるとか、あるいは公園であるとか、最寄最寄の広場ということが一応避難の予定場所になっております。これはやはり道路とかそういう点を考えまして一応予定をしておきました。そうしてそれを警察、それから町会長、町会長程度までにはよく知らしておきました。そうしていよいよの時には指図をしてそうして逃げていく、これは一応の場所をそう決めておきます。それから非常な大火災になりました場合に、そこに一夜夜露を凌いだとしましても、そのままにおけませぬから、そこで何区の者はどこへ集ったうえ埼玉県のどういう方向へ移動する、どの区の者は神奈川県のどの方向へ移動する、それにつきましては、大体道筋にちょっとした怪我の手当てをするとか休める場所を作るとか、それから湯茶を供する場所を作る、そういうことはその時に至急に手配をするような準備を致し、また不断多少の訓練をしております。先ほどちょっと申し上げましたが、徒歩で近府県へ出掛けていきます者について、相談所であるとか、休息所であるとか、或いは湯茶を接待する場所であるとか、怪我の手当てをする場所を設けることにしたということを申し上げましたが、それはただいま申し上げましたような予ての一応の計画がありますので、それに依って指令をしてやらしている、そういう訳であります。大体それで御諒承を願います。

○子爵大河内輝耕君 私のお尋ねしたいのは、第一の避難場所、夜火災が起ったらどこへ逃げて行くということの場所なんです。その場所の設備が十分でない。例えば逃げてよいような場所に余計な建物があってみたり、余計な設備があってみたり、邪魔者があってみたりする。そういうものを綺麗にして、いつでも受け入れられるような態勢にしておきなすったほうがよかろう。どこだか場所も存じませぬからどこということは存じませぬが、どうも日本の公園なんぞには余計な建物があったり余計な物があったりしていただけない。そういう物をあらかじめ取っ払ってしまっていつでも来いということをしておおきになる必要があるだろう。そういう意味なんです。

[国務大臣大達茂雄君登壇]
国務大臣(大達茂雄君)  大体現在の広場その他の現状に基きまして、それからそこへ通じている道路その他の事情に基きまして、大体避難場所というものを予定しております。特に避難場所として広場を作りあるいは邪魔な物を取り除けておくという、そういうところまでは致しておりません。